初夏の夜風は ゆきゆき  鈴に女の子の友達ができたらいいな、とずっと思っていた。  我が妹ながら愛想のなさは半端なく、昔から女子受けはとんでもなく悪い。(なぜか男子受けは非常に良い。逆だったら良かったのだが)  だから、彼女――神北小毬が鈴に親しく話しかけてくれている姿を見た時には、心底ほっとした。小毬の明るさは周囲まで和ませてくれる。鈴も不器用ながらも初めての女友達と楽しく付き合えているようだった。  ……まさか鈴がここまで不器用とは思っていなかったが。  初夏のある日。いつものように男子寮の俺の部屋に上がり込んできた鈴だったが、いつものような元気がない。勝手に俺の漫画を漁って、ぼんやりとページをめくっている。 「ちょっとこっち向け」 「……」  面倒そうに顔を上げた鈴の額に手の平を当てると、じんわりと熱が伝わってきた。 「……風邪だな」 「うー」 「今日は早く寮に帰って寝て、明日は学校を休め」  だが鈴は首を縦に振らなかった。 「ダメだ。こまりちゃんと約束してる」  今晩流星群が見られるので二人で見に行こう、と小毬から誘われたらしい。 「そんな熱で行けるわけないだろ。断っておけ」 「いやじゃボケ」  不器用な妹は、友達に断りの連絡を入れることができないらしい。 「直接言いにくかったらメールでもいいじゃないか」 「いやだ。こまりちゃんはすっごく楽しみにしてたんだぞ。夜一人じゃ危ないかもしれないし、あたしのせいで流れ星見に行くのやめちゃったりしたら……そうだ」  鈴は名案を思い付いたようだ。 「恭介、あたしの代わりにこまりちゃんと流れ星を見てきてくれ」 ***  待ち合わせの指定は大胆にも『夜十時に学校の屋上で』ということだった。夜の校舎に忍び込む。俺にとっては慣れたミッションだ。静まり返った階段を上る。  友達の誘いくらい自分で断れるようになってほしいのだが……まだ今の鈴には荷が重すぎるか。もう少し成長するのを待つしかない。ため息をついて屋上へと続く窓を開けた。 「よ……っと」  校舎内の止まった空気を一気に風がさらっていった。日中は汗ばむくらいだが、さすがに夜の風は涼しい。  そこにはひらひらした服を着た小毬が座っていた。フリルのついた白いブラウスに、これまたフリルの大量についたふんわりした黒いスカート。以前見かけた私服だ。頭にはいつもの赤いリボンが揺れている。相変わらず小毬に似合っているな、と思った。鈴もこんな服を着てくれたら似合うと思うんだが……きっと制服でもなければ着てくれないだろう。  小毬は屋上にレジャーシートを広げて、その上に大量の菓子と一緒に陣取っている。一人でも既に宴会(?)は始まっていたようで、小毬は子リスのようにクッキーを頬張っていた。 「あれぇ、恭介さん!?」  俺の姿を見つけて小毬は困惑しているようだった。……当然だ。  軽く右手を上げて応える。 「悪い、鈴は熱を出して来られない。俺は代打で派遣されてきた」 「ええっ、りんちゃん大丈夫ですか!?」 「ああ、大したことはなさそうだったから、安心してくれ。小毬が流れ星を楽しみにしてたから、鈴の代わりに俺に一緒に流れ星を見てほしいと頼まれた」 「りんちゃん、律義だなあ」 「律義というのとも違うんだが……」  単に誘いを断るのが怖いだけだろう。初めて好意を持った友達に嫌われたくないと――それくらいで『友達』はおまえのことを嫌ったりしないんだけどな……。  許可を得てレジャーシートに腰を下ろす。一応、小毬との間には人が一人入るくらいの距離を空けた。 「こーしーどーぞ〜」 「……ああ」  小毬から缶コーヒーとドーナツを受け取る。 「……ふふ」  小毬が小さく笑った。 「……何だ」 「恭介さんと二人きりでちゃんと話すの、初めてかもしれないです」 「そうかもしれないな」  元々理樹がスカウトしてきたメンバー達だから、あまり個別に会話をする機会はなかったかもしれない。ずっと一緒に騒いでいたから、全員とそれなりに話はしてきたつもりだが……。 「そうだ、恭介さん、この間はありがとうございました」 「うん?」 「パフェ、すっごくおいしかったです。恭介さんがみんなに声をかけてお金を集めてくれたって聞きました」 「いや、あれ自体ホットケーキパーティの礼だからな。気にするな」 「でも予約受け付けてないお店だって聞いて……恭介さんがすっごくがんばって予約もとってくれて……いただいて? ありがとうございまする?」  小毬は首をかしげた。 「おまえ、実は敬語苦手だろ」 「そんなことはないよっ……です。苦手っていうか、恭介さんと話してると、んん〜、もっとこう、家族? みんなのおにいちゃん? って感じの?」  一度意識をしだすと逆に敬語がわからなくなってしまったらしい。なぜか日本語すら怪しくなってきた。 「別に敬語なんて使う必要ないぞ。どうせあいつらも敬語なんて使ってないし」 「そっか。じゃあ遠慮なく」 「おう」  それからこっちの方がもっとよく見えるかも、と二人で給水タンクの上に登った。せっかく二人の間に距離を置いていたのに小毬はすぐ隣に座ってきた。この子には警戒心がないのだろうか? いや、鈴に頼まれたとはいえ、深夜に人気のない屋上に押しかけた俺が言うのもおかしいか。  頭上には満天の星がまたたいている。 「あれがスピカ」  小毬が頭上を指さす。その指先が三角形を描く。 「春の大三角。あっちの下の方に見えるのが夏の大三角」  東の低い空に指を伸ばす。もう少し季節が進んだら、夏の大三角が高く上がってくるという。 「詳しいな」 「好きなだけ。それにあんまり詳しくはないんだよ」  それから小毬はいくつか星を教えてくれた。名前を聞いたことのある星ばかりだが、実際に空に輝いているのを眺める機会はなかなかない。知識ではなく、本当に好きなんだろうな――と思った。  楽しそうに話す小毬の横顔をしばらく見ていた。 *** 「リトルバスターズって、最初は恭介さんが始めたんだよね」 「ああ、ガキの頃に正義の味方面してあちこち暴れ回ってたな」 「楽しそう」 「今にして思うとバカなことばかりやってた」 「それからずっと一緒にいるんだね」 「ああ」 「なんだかうらやましいな」 「結局、今とやってることは大して変わりないさ」 「そうじゃなくて、みんなでずっと一緒にいられるっていうのが」  二人でコーヒーをすする。  そろそろ日付が変わる。小毬があくびをした。 「あっ、流れた」  細い光が夜空を一瞬で駆け抜けた。 「一瞬だから願い事するの、難しいね」 「願い事……か」 「恭介さんは何をお願いする?」 「願って叶うなら、何でも願うけどな」 「お願いして本当に何でも叶うなら? 待って、当ててみるよー」  ――叶わないから願わない。顔には出さずとも、そう思ってしまった俺を遮って小毬は考え出した。それを止めるのも野暮な気がして、小毬の予想を待った。 「うーん、やっぱり、恭介さんがお願いするなら……りんちゃんの幸せ、かな?」 「はは」 「当たり?」 「そうだな」 「じゃあ、私とおんなじ。りんちゃんが幸せになれますように。それから、リトルバスターズのみんなも」  小毬は胸の前で両手を組んで言った。星は流れていないのに、その純粋な祈りはきっとどこかに届くと思わせた。  それからいくつも星が流れるのを二人で眺めた。  小毬は流れ星を見つけるたびにはしゃいでいた。  星を待つ間の時間つぶしに色々な話をした。ほとんどが学校で起きた他愛もないことの話だった。  けれど少しだけ――小毬が質問するから少しだけ、話しすぎてしまったかもしれない。他人に自分のことを話すつもりはなかったのに。  二時を過ぎるころ、小毬は舟をこぎ始めた。  最初は声をかけただけで起きていたのが、段々肩を揺すってもふにゃふにゃと何か言うだけになってきた。  そろそろ帰った方がいいだろう。 ***  給水タンクから下りて、二人でレジャーシートを片付けた。 「今日は楽しかった。恭介さんありがとう。りんちゃんお大事に」  荷物をまとめて、小毬は別れの言葉を告げた。  そうだ、二人で話せるのは今だけだった。 「小毬……」 「うん?」 「鈴と友達になってくれて、感謝している」  鈴や他のメンバーがいる前では言えないから、今のうちに感謝を伝えておく。  小毬は大きな目を丸くして、それからくすりと笑った。 「恭介さん、りんちゃんのお母さんみたい」 「おか……!?」 「友達ってなりたくてなるのに、ありがとうって普通言わないから。そういうこと言うの、お母さんっぽい」  ……少し傷つく。せめてお父さんとか。  そんな俺を眺めて、小毬は言った。 「私、恭介さんとも友達になりたいな」 「? もう俺たちはリトルバスターズの仲間じゃないか」 「仲間だけど、友達も」  小毬が右手を差し出してきた。  意味を掴みかねてその手を見る。 「みんな、じゃなくて、私と恭介さん」  ……ああ。鈴と小毬。リトルバスターズの中の二人。それだけの関係ではなく、本当に二人は友達になったんだな。  小毬と握手をする。女の子らしい、ふんわりとした感触。 「これからもよろしくお願いします。えへへ」  小毬がはにかむように笑った。  俺も風邪をひいたのだろうか、熱が上がってきたような気がする。  爽やかな初夏の夜風が、熱を冷ますように頬を撫でていった。 (了)